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長野地方裁判所上田支部 昭和56年(ヨ)1号 判決

申請人 竹内函夫

右訴訟代理人弁護士 佐藤芳嗣

被申請人 合資会社宮原酸素店

右代表者代表社員 宮原重雄

右訴訟代理人弁護士 小林浩平

主文

一  申請人が被申請人に対し雇用契約上の地位を有することを仮に定める。

二  被申請人は申請人に対し、金八八万九三四六円及び昭和五六年五月一日から本案判決確定に至るまで、毎月二二日限り月額金一一万円の割合による金員を仮に支払え。

三  申請人のその余の申請を却下する。

四  訴訟費用は被申請人の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  申請人(申請の趣旨)

1  申請人が被申請人に対し雇傭契約上の地位を有することを仮に定める。

2  被申請人は申請人に対し、金一〇一万五九四六円及び昭和五六年五月一日から本案判決確定に至るまで、毎月二二日限り月額金一二万五八二五円の割合による金員を仮に支払え。

二  被申請人(申請の趣旨に対する答弁)

1  本件申請を却下する。

2  訴訟費用は申請人の負担とする。

第二当事者の主張

一  申請人(申請の理由)

1  被申請人は、一般高圧ガス販売等を目的とする合資会社であり、申請人は、昭和五一年八月六日被申請人に人社し、爾来、被申請人の従業員として、液体酸素を気体に変えてボンベに充填する作業に従事してきた。

2  被申請人は、申請人に対し、昭和五五年八月二五日到達の内容証明郵便で、就業規則一九条により、申請人は同月二九日をもって定年退職となる旨の通知をなした(以下、本件行為という)。

被申請人の就業規則一九条本文は、「従業員の定年は満五五才とし、定年に達した日の翌日をもって自然退職とする。」と規定しているところ、申請人は昭和五五年八月二八日満五五才に達した。

3  しかしながら、本件行為は以下の理由により無効である。

(一) 被申請人の就業規則は、規定と実際の運用との間に、著しい差異がみられ、被申請人における具体的な労働条件を継続的に規律していなかったものであり、しかも、労働基準法一五条の労働条件の明示義務及び同法一〇六条一項の就業規則の周知義務が全く尽くされていないのであるから、被申請人の就業規則は効力がなく、右就業規則に基づく本件行為は無効である。

(1) 規定と実態との差異について

就業規則二条では、従業員は、社員、嘱託員、臨時職員からなり、二三条では、社員は月給制、嘱託員及び臨時職員は日給制となっている。ところが、社員である宮下真司は後記分会ができた後、分会の要求によって月給制となるまでは就業規則の規定にない時間給であった。三条では、従業員は採用の際、履歴書、戸籍抄本等を提出することになっているが、申請人ら従業員が採用されたとき、これらの書類の提出は被申請人から求められていない。五条に規定されている試用期間を設けられた従業員はいない。六条では、勧務時間が午前八時三〇分から午後五時三〇分までとなっているが、女子従業員は、実際には午後五時までである。七条では、年末年始の休日は、一二月三一日から一月四日までとなっているが、実際には、昭和五五年度は一月六日まで、同五六年度は一月五日まで休日であった。八条、九条一号では、従業員代表の定めがあるが、従業員全員の意思による従業員代表が選出されたことはない。九条一号に規定されている休日勤務等に関する従業員代表との協定はないにも拘らず、休日勤務があり、また同条三号では、女子の休日労働ができないことになっているが、実際には女子も休日に出勤することがある。二〇条では、賃金の種類として基本給の他五種類の手当が規定されているが、ここに規定されていない危険手当が実際には支給されている。二二条は、賃金から控除される給与所得税等について規定しているが、ここに規定のない端数貯金が、同条五号の従業員代表との書面による協定がないにも拘らず控除されている。二三条は、基本給は本人の年齢、経験、能力、学歴等をもとに決定する旨規定しているが、実際には、採用時における労働状況等により、かなり恣意的に決定されている。二五条は、時間外手当等の計算方法を定めているが、実際は、同条の計算式を使っていない。二七条では、昇給は毎年一回三月に行なうと規定されているが、実際には、毎年四月から行なわれている。一九条は、従業員の定年は満五五才とし、定年に達した日の翌日をもって自然退職とする。但し、会社が必要と認めた時は三〇日前に予告したうえ定年を延長する旨規定している。現在被申請人には、五五才を過ぎた工場長金井武が勤務しているが、同人が五五才に達した際右就業規則但書に定める手続は全くとられていない。また、被申請人は、昭和五一年頃、右定年を過ぎた五八才の竹重勤を採用し、三年間雇用した。

就業規則が法的規範としての効力を有するためには、具体的な労働条件が就業規則に則り継続的に規律されているという実態がなければならないところ、以上のような就業規則の規定と実態との重大な差異を見ると、被申請人の就業規則は、被申請人における具体的な労働条件を継続的に規律していなかったことは明らかであるから、法規範としての効力がないといわねばならない。

(2) 労働基準法一五条一項違反について

申請人が被申請人に入社したとき、申請人はすでに五〇才一一か月であった。また、申請人には扶養しなければならない妻子がいたのであり、定年があるかどうかは、重大な問題であった。申請人は、縁せきにあたる金井武から被申請人には定年がないという説明を受け、被申請人のこの点に魅力を感じて入社することを決めたのである。右のような、申請人の被申請人への入社の経過からすれば、申請人にとって被申請人に定年規定があるかどうかは極めて重大な労働条件であったと言える。

ところが、被申請人は、申請人を採用する際、五五才定年規定について何ら告知せずむしろ定年制はない旨の言明をして申請人を採用した。また、申請人が入社した後も、定年で退職した者は一人もおらず、前述のとおり五五才を過ぎても勤務している者がいる状況であった。したがって、被申請人に定年制規定があったとしてもこの点につき申請人に何ら告知されていない本件においては、申請人に定年制を適用することはできない。

(3) 労働基準法一〇六条一項違反について

就業規則は、同条により、従業員一般にその存在及び内容を周知させるに足りる相当な方法を講じたとき、その効力を生ずる。

ところが、現在の就業規則は、申請人に対する今回の問題が起こるまで後記分会組合員は誰一人見せられた者がなく、また、分会結成時に分会が就業規則の提示を要求したときも被申請人は提示を拒否していたものである。

被申請人は、応接室兼休憩室に常時備置してあったと主張しているが、この場所は従業員に利用されることは少ない場所であり、来客用の応接室あるいは、総務課長山岸正伸が従業員に見られたくない仕事をする際の事務室として使用されている場所である。したがって、被申請人は、就業規則を従業員の見やすい場所に常時備置して従業員に周知していたとは言えず、明らかに労働基準法一〇六条一項違反であって、このような就業規則には効力はない。

(二) 本件行為は、申請人の組合活動を被申請人が極度に嫌悪した結果、就業規則の定年退職条項の適用に藉口して行なった実質は解雇処分であって、労働組合法七条一号に該当する不当労働行為であり、無効である。

(1) 申請人の組合活動

被申請人に勤務する従業員の労働条件は、極めて劣悪であって、その賃金水準は、生活保護法の最低生活保障水準をかなり下回る者がいる程であった。しかも、被申請人は、いわゆる同族会社であって、専務取締役宮原亮平を中心とするワンマン経営は、目に余るものがあり、悪質かつ差別的であった。

申請人は、右のような低賃金と前近代的な労使関係を改善すべく、昭和五四年八月一八日、他の従業員及びチャーター(貨物自動車を持込み、会社のガスボンベの配送を行っている運転手)とともに労働組合を結成し、直ちに、総評全国一般労働組合長野地方本部(以下、長野地本という)に加入して、右組合宮原酸素分会(以下、分会という)を組織した。申請人は、分会結成当初は、分会書記長に就任し、その後は、分会執行委員長となって、今日まで積極的に組合活動に従事してきた。

(2) 分会は、被申請人における始めての組合であったが、被申請人は、この組合結成を極度に嫌悪し、以下に述べるような組合つぶしの為の数々の行為を重ねてきた。即ち、

分会結成日の翌日である昭和五四年八月一九日(日曜日)、組合員の一人である分会執行委員桜井富太の自宅に被申請人の営業部長、総務課長が行き、三時間以上にわたって、組合脱退工作をした。

分会結成日の夜、右結成の事実を知った被申請人は、管理職が集まり、申請人、右桜井、分会組合員宮下真司の転勤を決定し、翌日の日曜日に同人らに告知した。この転勤命令は、業務上の必要性が全くなかったにも拘らず行なわれたものである。これは、被申請人が組合の結成を嫌悪し、分会の壊滅を企図して行なったものである。

被申請人は右桜井に対し、「資材係の責任者をやめてもらう。仕事を取り上げる。」旨の発言をする等のいやがらせを繰り返した。また、チャーター組合員に対しては、「組合を脱退すれば賃上げしてやる。」等のことを言って脱退工作をしたうえ、買収まで試みた。

被申請人は、チャーターの社員化問題等について団体交渉を誠実に行なおうという態度を示さず、実質的には団体交渉を拒否してきた。

被申請人は、昭和五五年春季賃上げにおいて、組合員と非組合員を差別し、申請人ら組合員に対しては、組合員であるというだけで他に合理的理由なく不利益に取り扱った。

(3) 就業規則一九条は、五五才定年を規定しているが、申請人が被申請人の面接を受け入社する際には、定年があることは知らされず、しかも、従来被申請人において定年退職した者は一人もおらず、他の従業員も定年があることを知らなかった。

(4) 分会結成後の被申請人による悪質極まる不当労働行為の積み重ね、申請人が組合活動において中心的役割を果たし積極的に組合活動をしてきた経過、さらに就業規則一九条についての従来の取扱いを考慮すると、被申請人は、申請人を被申請人から排除することによって分会の壊滅を企てたものである。よって、申請人の組合活動と本件行為は因果関係が十分認められるから、本件行為は不当労働行為として無効である。

(5) なお、長野地方労働委員会(以下、地労委という)は、長野地本・被申請人間の長地労委昭和五五年不第六号不当労働行為救済申立事件において、昭和五五年一二月一八日、本件行為は労働組合法七条一号の不当労働行為であると認定して、申請人の原職復帰等の救済命令を出した。

4(一)  被申請人は、昭和五五年八月二九日以降申請人について雇用契約上の地位を認めず、賃金の支払もしない。

(二) しかし、申請人は、同日以降も被申請人に出社し、本件行為前と同じ職場に赴き、同じ仕事に従事している。

5  申請人の基本給、時間外手当、家族手当等の賃金総額は、昭和五五年四月分一二万三二八三円、同五月分一一万八七八二円、同六月分一二万九四九三円、同七月分一三万一七四五円であり、本件行為前四か月の平均賃金は、一二万五八二五円となる。また昭和五五年八月二九日から同月三一日までの賃金(同年八月分の残賃金)は九三四六円である。そして、右毎月の賃金の支払日は、昭和五五年一一月分までは翌月五日であり、同年一二月分以降は当月の二二日である。

6  申請人は、被申請人に対し、雇用契約上の地位の確認を求めるとともに、昭和五五年八月分の残賃金九三四六円及び同年九月分以降の賃金の支払を求める訴を提起すべく準備中である。

しかしながら、申請人には、妻と高校生の子供一人がいて、その三人の生活は、申請人の賃金と妻のパート代月額約五万円だけでなされていた。申請人は、約五年前に家を新築したばかりで、これにあてた借入金の返済が月五万円以上あって、もともと生活は極めて苦しかった。本件行為後、被申請人からは一銭も支払われず、毎月長野地本から一一万円の借入れをしてかろうじて生活を維持してきた。しかし、右借入れにも限度があり、今や申請人及びその家族の生活は、危機に陥っている。

従って、このまま本案判決の確定をまつとすれば、申請人は生活に困窮し回復し難い損害を被るおそれがある。

7  よって、本申請に及んだものである。

二  被申請人(申請の理由に対する認否)

1  申請の理由1の事実について  認める。

2  同2の事実について  認める。

3  同3(一)の事実について  冒頭の主張は争う。(1)のうち、就業規則に申請人主張の各規定があること、宮下真司に対し、一時的に時間給をとったこと、申請人を採用した際、三条所定の提出書類の提示を求めなかったこと、試用期間を経て本採用になった従業員がいないこと、女子従業員の終業時間が午後五時であること、危険手当が支給されていること、時間外手当の計算式が二五条と異なること、昇給を四月に実施していることは認め、その余は否認する。申請人は、「就業規則が法的規範として効力を有するためには、具体的な労働条件が就業規則に則り継続的に規律されるという実態がなければならない。」旨主張する。この主張の正確な意味は必ずしも明確ではないが、申請人の主張を全体として判読すれば、成文化された就業規則中に成文の規定どおり実行されていない部分がある場合は、その成文の就業規則は全部無効になるとする主張のようである。仮に、右の推論が正しいとするならば、就業規則一七条一項二号や三号の規定が適用された際、その適用が最初であるような場合は、どのように解するのであろうか。これらの規定には「継続的な規律」ということがそもそも考えられない場合がある。これに類する規定は、他にもある。仮に労働条件に関する規定に限定するとするならば六条、七条、九条、一〇条、一一条、二〇条、二一条、二二条、二八条等は、明らかに現に適用されているのであるが、これらの労働条件に関する規定も無効となるというのであろうか。このような結論が全く妥当性を欠くことは明白である。さらに、申請人の主張は、就業規則には成文の就業規則の他に慣行として不文の就業規則が成立する場合があるということを全く無視している。就業規則と就業規則規範的慣行との関係は、後者は前者を補完する関係に立つのであり、成文就業規則を無効にする関係などはないのである。従って、たとえ成文の就業規則と異る慣行が成立している場合でも、その慣行が就業規則の規定より優先して適用される場合があり得るだけのことであって、そのような就業規則と異る実態があるからといって就業規則全体が無効になるというような主張は全く就業規則に関する法的理解を欠いた理論というべきである。又、就業規則は労働条件の最低限を規律するものであって、これを下回る労働条件が行われていてもそれは就業規則違反となるだけで、そのために就業規則全体が無効になるとか、就業規則で定めた労働条件より上回る実体が部分的に存する場合には、有効に規則が改訂されたといいうる場合が多いのであって、そのために就業規則全体が無効になるなどという理論は反論の価値すらない主張である。(2)のうち、申請人が被申請人に入社した時五〇才であったこと、申請人が入社した後定年で退職した者はいなかったことは認め、申請人に扶養しなければならない妻子がいたこと、金井武が申請人の縁戚にあたることは不知、その余は否認する。申請人は、被申請人に入社前小諸鋼機に勤務していたが、給料が遅配になる等その会社の経営状態が悪かったので、同社を退職し、被申請人に入社したものである。また、申請人の入社後定年で退職した者がいなかったのは該当者がなかったためである。(3)は否認する。被申請人においては、殆どの従業員に対して入社の際「定年」に関する条項は勿論、就業規則の各条項について、就業規則を示しながら説明を行なっており、必要があれば何時でも誰でも見られる休憩室に就業規則が常時備置されていたものである。

同3(二)の事実について  冒頭の主張は争う。申請人は、工場長金井武が定年延長されていることをもって、差別待遇であると主張する。しかし、被申請人は小規模な会社ではあるが、得意先は数千件に達し、この得意先を知っていることは最も重要なことであるところ、右金井はこの多くの得意先を殆ど知っているので、いざというときの処理が効率よく迅速に行なえるし、酸素等ガスの充填、配達等も十分にこなせるので、余人をもっては代えがたい人材である。そこで、右金井については、業務上の必要性に基づき、就業規則一九条但書により定年を延長しているのである。これに反し、申請人は、得意先は殆ど知らないし、処理できる業務は充填のみであり、定年を延長しなければならない業務上の必要性はない。差別待遇ではない。(1)のうち、被申請人がいわゆる同族会社であること、申請人が他の従業員らと労働組合を結成したこと、その組合が長野地本に加入したことは認め、組合内部のことは不知、その余は否認する。(2)のうち、昭和五四年八月一九日桜井富太の自宅へ総務課長山岸正伸らが行ったこと、右同日、申請人・桜井富太・宮下真司に転勤の告知をしたこと、チャーター組合員に対して「組合を脱退すれば運賃の値上げをしてやる。」と被申請人の幹部が発言したことは認め、その余は否認する。昭和五四年八月一八日夜における管理職らの会合には、当日たまたま営業上の関係で、被申請人に来ていた東洋酸素高崎営業所長中沢某が出席していた。被申請人の管理職らにとって、このような事件は全く未経験であったため、どのように考えてよいのか全く見当がつかなかったのであるが、右中沢の発案で転勤その他の措置が決められたのである。管理職らはこのような措置をとることについて疑問があったが、右中沢が大丈夫であると述べる以上、問題はないと考え、同人の転勤等の提案を受け入れることにし、総務課長が専務取締役宮原亮平に転勤等について報告した際、「中沢営業所長が問題ないといっている。」と述べたところ、「自分はよく分らないが、中沢所長がそういっているのならいいだろう。」ということであった。しかし、分会からこの集会は組合の結成集会であり、転勤は不当労働行為であると強く抗議され、『どうもおかしい』ということになり、あらためて専門家に相談しなおしたところ、「そんなことは許されないからすぐに撤回するべきである。」と言われ、直ちに撤回したのである。(3)のうち、被申請人の就業規則一九条が五五才の定年を規定していることは認め、その余は否認する。(4)は否認する。(5)は認める。

4  同4の事実について  (一)は認める。(二)のうち、申請人が本件行為前と同じ仕事に従事していることは否認し、その余は認める。申請人は勝手に何かをしているにすぎず、後任者もいる。

5  同5の事実について  認める。

6  同6の事実について  否認する。

7  被申請人の主張

被申請人の就業規則一九条は、「従業員の定年は満五五才とし、定年に達した日の翌日をもって自然退職とする。」と規定しているところ、被申請人はこの規定を満五五才に達した申請人に適用したにすぎない。定年制とは、従業員が所定の年令に達したことを理由として、一律的機械的に労働契約を終了させる制度であるから、被申請人は申請人に対し、就業規則を一律的、機械的に適用した結果、被申請人と申請人との間の雇用関係が終了したのである。定年に関する就業規則を適用する行為は従業員に対しては誰彼の差別なく同一に行われるのであり、この行為が不当労働行為を構成する余地のないことは、どのような見解からしても明白である。

第三疎明《省略》

理由

一  申請の理由1、2の事実は当事者間に争いがない。

二1  申請人は、被申請人の就業規則は、規定と実際の運用との間に著しい差異がみられ、労働基準法一五条一項の労働条件の明示義務及び同法一〇六条一項の就業規則の周知義務が尽されていないから、右就業規則は効力がなく、それに基づく本件行為は無効である旨主張するので、この点について検討する。

被申請人の就業規則一九条が、「従業員の定年は満五五才とし、定年に達した日の翌日をもって自然退職とする。但し、会社が必要と認めたときは、三〇日前に予告したうえ定年を延長する。」と規定していることは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によると、被申請人において、現在の就業規則制定以来、在職中、満五五才の定年に達した従業員は金井武だけであったこと、同人は昭和五三年五月一九日右年令になったが、定年延長されて現在も被申請人に雇用されていることが認められ、以上の事実によれば、就業規則一九条の規定と実態に差異があるとはにわかにいえないし、申請人が申請の理由3(一)(1)において主張する一九条以外の規定と実態の差異があるとしてもそれだけでは一九条を含む就業規則全体が無効になるは解しえないので、就業規則一九条は効力がないと断定することはできない。また、労働基準法一五条一項の労働条件の明示義務を使用者が尽さなかったとしても右就業規則が無効になるいわれはないし、同法一〇六条一項の就業規則の周知義務を使用者が尽していないとしても、その効力に直接の影響を及ぼすものではない。

従って、この点に関する申請人の前記主張は採用することができない。

2  次に、申請人は、本件行為は、労働組合法七条一号に該当する不当労働行為であるから無効である旨主張するので、この点について検討する。

(一)  被申請人の就業規則一九条の規定内容は前記1に認定のとおりであるところ、右規定の文言からみると、右就業規則の定年制は、いわゆる定年退職制、定年延長を定めたものと解するのが相当である。

ところで、被申請人は、昭和五五年八月二八日満五五才の定年に達する申請人に対し、就業規則一九条但書により定年延長することなく、同条本文により定年退職としたこと(本件行為)は前記認定のとおりであるから、本件行為は労働組合法七条一号にいう不利益な取扱いに当るというべきである。

(二)  本件行為以前、被申請人において在職中満五五才に達した従業員は昭和五三年五月一九日に右年令になった金井武だけであるが、同人は定年を延長されて現在も被申請人に雇用されていることは前記1に認定のとおりである。

ところで、就業規則一九条但書は「会社が必要と認めたときは……定年を延長する。」と規定しているところ、被申請人は、この点につき、特に業務上の必要性を斟酌して決定する旨主張するが、《証拠省略》によると、被申請人は、金井武の右定年延長に際し、同人について改めて審査したことはなく、単に、口頭で定年延長する旨同人に告知したにすぎないこと、被申請人の営業部長であった斎藤貞則や金井武は、被申請人では、健康で真面目に働いていれば定年後も勤続できると考えていたこと、申請人は、被申請人に入社する時、満五一才になろうする年令であったが、入社に際し、被申請人から五五才定年制の説明を全く受けなかったこと、被申請人は、採用時既に満五八才に達していた竹重勤を、臨時として昭和五一年から昭和五三年にかけて雇用し、申請人と同じ充填作業に従事させていたことが認められ(《証拠判断省略》)、右事実に就業規則一九条但書が「必要と認めたときは」とだけしか規定していないことを併せ勘案すると、被申請人では、実際には主に健康と勤務成績との二点につき考慮して定年を延長するかどうかを決定する扱いであると認められ(る。)《証拠判断省略》

なお、《証拠省略》によると、金井武が被申請人の得意先をよく知っており 業務上必要な一定の資格を有していたことは認められるが、右事実があるからといって、前記判断を左右しない。

そこで、申請人についてみるに、申請人は、被申請人に入社以来、液体酸素を気体に変えてボンベに充填する作業に従事してきたものであることは前記一に認定のとおりであるところ、《証拠省略》によると、申請人は、本件行為当時、入社時と変らぬ健康状態であって、従来の業務に耐えることができたし、また入社以来普通の勤務成績であったことが認められる。

以上の事実によると、被申請人は、申請人について就業規則一九条但書の定年延長の規定を適用することに特段の支障がある訳ではなかったことが認められる。

(三)  《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

(1) 昭和五四年八月一八日、申請人を含む被申請人の従業員及びチャーター(貨物自動車を持ち込み、被申請人のガスボンベの配送を行なっている運転手)によって、被申請人にとって始めての労働組合が結成され、右組合は直ちに総評全国一般労働組合長野地方本部(長野地本)に加入し、総評全国一般労働組合長野地方本部宮原酸素分会(分会)となった。分会の組合員数は、右結成時一〇名(被申請人の従業員六名、チャーター四名)であった。申請人は、分会結成当初は、分会書記長に就任し、同年九月から分会執行委員長となり、現在に至っている。分会は、右結成以降、団体交渉等を通して、チャーターを被申請人の従業員にすること(チャーターの社員化)、賃金等労働条件の改善、大幅な過積みの是正を被申請人に要求する等の活動を行なったが、申請人は、分会の代表として、右組合活動の中心的役割を果してきた。長野地本は、被申請人を被申立人として、長野地方労働委員会(地労委)に対し、昭和五五年七月、分会の運営に対する支配介入の禁止、分会の組合員に対する賃上げ、チャーター社員化について団体交渉を行なうこと等を求める申立て(長地労委昭和五五年不第三号不当労働行為救済申立事件)を、次いで同年九月、申請人の原職復帰等を求める申立て(長地労委昭和五五年不第六号不当労働行為救済申立事件)をそれぞれなしたが、申請人は、右各事件において、分会を代表して申立人の補佐人を務めた。

(2) 昭和五四年八月一八日(土曜日、分会結成日)の夜、労働組合結成を察知した被申請人(実質上の最高決定権者は松本営業所を除いて専務取締役宮原亮平)では、管理職が集まり、分会書記長の申請人を被申請人の関連会社である有限会社群馬宮原酸素店中之条営業所に、分会組合員(同月下旬から執行委員)桜井富太を同社高崎営業所に、分会執行委員長(同年九月から同副執行委員長)宮下真司を被申請人直江津営業所に翌々日(月曜日)から出向或いは転勤させることを急遽決定し、翌一九日(日曜日)朝、そのことについて宮原亮平の承認を得た。その後の同日午前中、被申請人の営業部長柳沢某及び総務課長山岸正伸は、右桜井の自宅に赴き、三時間以上に亘って、分会の結成大会の様子を同人から聞いたり、或いは分会からの脱退を同人に強要したが、拒否された。次いで、同日の午後から夜にかけて、被申請人の業務部長井出某、総務課長山岸正伸、営業課長神津和幸、業務課長田畑某が右宮下、申請人、右桜井方を順次訪れ、同人らに前記出向或いは転勤を命じたが、右出向或いは転勤は、いずれも行先が遠隔地であるだけでなく、業務上の必要性が全くなかったものであった。翌二〇日、分会は、被申請人に対して、分会結成を通告し、前記命令について抗議したところ、翌二一日、被申請人は右命令を撤回した。

(3) 同月二二日、被申請人の総務課長山岸正伸は、資材係員を集め、従来資材係の責任者であった前記桜井に対し、「これからは資材係の責任者は横沢君(非組合員)がやる。桜井さんは来客があった場合にお茶を出せばよい。便所へ行くとき以外は席を離れてはいけない。これは会社の方針だ。」等と発言した。被申請人は、分会結成前は、右桜井を営業会議やメーカー主催の展示会に出席させていたが、分会結成後は、これを止め、右横沢をそれらに出席させるようになった。同月二四日頃、チャーター会の会長中村某は専務取締役宮原亮平に依頼されて、チャーター組合員四名(分会執行委員小山精一、同竜野正俊ら)を自宅に呼び、右四名に対し、分会から脱退するよう慫慂したが、断られた。そこで、同日、右宮原は、寿司屋に右四名を招待して、同人らに対し、「組合から脱退してくれ。そうすれば、運賃を月二万五〇〇〇円値上げしてやる。小山は社会保険に入っているが、組合に入っているなら社会保険から抜く。」等と述べた。翌日、前記山岸も右小山に対し、組合やるなら社会保険から抜く旨述べた。同年九月中旬、右宮原の弟である被申請人長野営業所所長宮原竜也は、右竜野に対し、「君は他のチャーターに比べ条件が悪い。専務(宮原亮平)や山岸君(総務課長)に話してやるから組合を抜けろ。」と述べるとともに、そういう前例がないにも拘らず、時間を待たせたからと言って、現金二〇〇〇円入りの封筒を渡した。

(4) 分会は、分会結成直後から被申請人にチャーターの社員化等を要求し、数回にわたり団体交渉が行なわれたが、その後、長野地本は、昭和五五年七月と同年九月に、地労委に対し、前記(1)の申立てをなし、同月三〇日から同年一〇月三日まで数回にわたり、地労委において、和解折衝が行なわれたが、成立の見込みがないとして打切られた。

(5) 橋本昭治は、申請人より二年余遅れて被申請人に入社し、以来、申請人と同じ充填係に所属している(充填は未経験だったので、申請人に教わった)が、分会結成当初からの組合員で、分会書記長となった後、分会を脱退した者であり、横沢孝雄は、桜井富太と同じく資材係に所属し、分会結成当時は同人の下で働いていた非組合員である。被申請人は、昭和五五年四月分の賃金から賃上げを行なったが、賃上げ額は、勤続一年未満の者も含めた本社における男子・非組合員・平従業員が五〇〇〇円から一万円、その内勤続一年以上の者の平均が七一五三円、右橋本が八〇〇〇円、右横沢が一万円であったところ、分会が同年三月に行なった申請人(本社勤続三年半)、右桜井(同五年)及び宮下真司(同一年以上)の賃上げ要求に対し、被申請人は、数回の団体交渉の中で一貫して平均五〇〇〇円と回答し、その後同年八月に至っても平均六〇〇〇円という回答をした。申請人と右橋本の作業は危険度において前者の方が高いか少なくとも差異がないにも拘らず、本件行為当時支給されていた危険手当は、右橋本の方が多額であった。右のような非組合員と組合員との賃金格差は厳格な考課査定に基づくものではなかった。

(6) 現在、分会組合員は、申請人を含めて従業員三名、チャーター四名の合計七名に減少した。

(以上の事実のうち、申請人が他の被申請人の従業員らと労働組合を結成し、その組合が長野地本に加入したこと、昭和五四年八月一九日被申請人の総務課長らが桜井富太の自宅へ行ったこと、同日被申請人が申請人、右桜井、宮下真司に転勤命令を告げたこと、被申請人の幹部がチャーター組合員に対し、「組合を脱退すれば、運賃の値上げをしてやる。」と発言したことは当事者間に争いがない。)

右(1)ないし(6)に認定の、分会の組合活動、分会結成直後(しかも日曜日)に発せられた申請人らに対する業務上の必要性が全くない遠隔地への出向転勤命令、その後の一連の被申請人の反組合的言動、組合員と非組合員との間における差別的取扱等を総合勘案すると、被申請人は分会及びその組合活動を極度に嫌悪し、一貫して分会の解体ないし衰退を企図し、機会があれば分会組合員を被申請人から排除しようと考えていたものと推認される。そして、前記(1)、(6)に認定のとおり、申請人は分会の中心人物であり、しかも分会は極めて小さい組織であるから、申請人が被申請人から排除されれば、分会の解体、少なくとも衰退は避けることができないと推認される。

(四)  以上(一)ないし(三)によれば、被申請人は、申請人の定年を延長することに支障がないにも拘らず、定年退職という本件行為をしたものであるが、それは、申請人が分会の代表として組合活動を積極的に行なってきたことが決定的原因となっているものと推認される。そうすると、本件行為は、労働組合法七条一号の不当労働行為にあたり、無効であるといわざるを得ない。

三  以上のとおり、申請人に対する本件行為は無効であるから、就業規則一九条本文により定年退職したとされた昭和五四年八月二九日以降においても依然として被申請人に対し雇用契約上の地位を保有していることは明らかであるところ、被申請人は申請人の右地位を認めず、賃金の支払をしていないことは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によると、申請人は、本件行為後も被申請人に出勤し、従前と同じ作業に従事していることが認められるから、申請人は被申請人に対し、右地位の確認及び賃金の支払を請求する権利があるといえる。従って、申請人の本件申請につき被保全権利の疎明があるというべきである。

四  そこで、保全の必要性について検討するに、被申請人が申請人の雇用契約上の地位を否定していることは前記三認定のとおりであり、《証拠省略》を総合すると、申請人には妻と高校生の子供が一人いて、その生活は申請人の賃金と妻のパート代月額約五万円でなされていたこと、申請人は、昭和五〇年春に住宅を新築したが、その際の借入金の返済が月約五万円あること、申請人は、本件行為により賃金収入を失ったため、長野地本から、生活資金として、昭和五五年一〇月以降毎月一一万円を借用していることが認められ、右事実によれば、申請人が被申請人から雇用契約上の地位を否定され、引続き賃金の支払を受けられないときは、申請人の生活が窮迫し、著しい損害を被るおそれがあると推認されるので、本案判決前に右地位を仮に定め、仮に賃金の支払を求める必要性があるというべきである。

進んで、その額について検討するに、申請人の昭和五五年八月分の残賃金が九三四六円であること、賃金の支払日は、昭和五五年一一月分までは毎翌月五日、同年一二月分以降は毎月二二日であることは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によると、本件行為直前の昭和五五年七月分の基本給(九万七五〇〇円)・家族手当・危険手当・通勤手当の合計額から健康保険料・厚生年金・雇用保険料の合計額を控除した金額は一一万八三二八円であることが認められ、また申請人が被申請人からの賃金収入を失ったため、長野地本から生活資金として毎月一一万円を借用していることは前記認定のとおりであるから、昭和五五年八月分の残賃金九三四六円及び同年九月一日以降本案判決確定に至るまで、毎月一一万円の割合による金員を仮に支払わしめるのが相当である。

そうすると、申請人が被申請人に対し雇用契約上の地位を有することを仮に定め、賃金の仮払については、八八万九三四六円(九三四六円+一一万円×八)及び昭和五六年五月一日以降本案判決確定に至るまで、毎月二二日限り月額一一万円の割合による金員の限度でその必要性を認めるのが相当である。

五  よって、本件仮処分申請は、右の限度において理由があるから、保証を立てさせないでこれを認容することとし、その余は理由がないから却下し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条但書を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 山口博)

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